官職人として国内外で活躍する久住有生さんは、2代続く左官の家に生まれた。父も名人として知られた左官職人で、幼い頃から英才教育を受けたという。「毎日、左官(壁塗り)の練習が終わるまで食事をさせてもらえなかった」というほどの厳しさ。久住さんは左官になることに反発するが、高校3年の夏休みにヨーロッパを旅したことが大きな転機になる。父親が「バルセロナでガウディ建築を見てこい」と旅行費用を出してくれたのだが、実際に見たサグラダ・ファミリアは衝撃的だった。「建築物ってすごい! と感動しました」。

材料は現場で様子を見ながら調整していく。自然素材だけに繊細な神経が必要。
弟子と一緒に、見事な鏝さばきで手際よく仕上げていく久住さん。

 
うして左官の道に入った久住さんは「どうせやるなら父を超えたい」との思いで修行する。阪神淡路大震災を経験し、京都で数寄屋の勉強をしていく中で、「やはり代々受け継がれてきたものには日本の美や技が詰まっている」と考えるように。とりわけ海外にも行くようになった今は、日本人の繊細さや手先の器用さを実感している。
「例えば道具にしても、日本人は使う道具が圧倒的に多いんです。僕も800種類以上の道具を持っていて、現場に合わせて選んでいます」。材料づくりにも時間や手間をかけ、お客様の好みや生活を聞いて仕上げるため、まったく同じものをつくることはない。壁が自然光で美しく見える時間帯に仕上げるなど、その繊細な仕事ぶりには日本人ならではの美意識が反映されている。

 
年は仕事の幅も広がり、個人宅から公共建築物、さらにアートとしての作品づくりも行っている。「何かを極めようとすると、どうしても視野が狭くなっていきます。自分はこのままでいいのかと疑問を持ち始めた頃に、たまたま展覧会に出品する話があり、ここからアートを含めたさまざまな活動に広がっていきました」。

取材現場となった住宅のためにつくられた仕上げ見本3種。使う素材はまったく同じでも、それぞれ異なった陰影を持つ仕上がりになっており、室内に独特の空気感を生み出す。
久住さんが当日持参した道具の一部。鏝だけでも何種類もあり、その他の道具も併せて道具箱にぎっしりと詰まっている。

在は左官の仕事を知ってもらうための活動や、学校建築にも取り組んでいる。子どもたちの安全性を考えて最初から危険を排除する傾向が強い中、東京の小学校ではあえてザラザラした触感の壁を仕上げた。「何が危ないのか、危なくないのか、自分たちの体験として学んでほしいと思ったから」と久住さん。便利なことが当たり前になって、人の感覚がにぶくなっていると感じている。

住さんは「長く残るものは人の手が入ったもの、そして最後は自然に還るもの」だと考えている。100年、200年残るものを目指して、自分なりの創意工夫を加えながら、先人たちの知恵を受け継いでいく。

Profile
左官職人
久住有生

1972年、兵庫県淡路島生まれ。祖父の代から続く左官の家に生まれ、3歳で初めて鏝を握る。18歳からさまざまな親方のもとで修行し、23歳で独立。重要文化財など歴史的価値の高い建築物の修復ができる左官職人として国内外で活躍。その土地の暮らしや自然を大切にした仕事で定評がある。
左官職人・久住 有生 公式HP


 

Q:久住さんのお気に入りの空間は?

淡路島のアトリエ。シャッターを開けると目の前に海が見える気持ちのいい場所で、2カ月に1度は必ず帰って作業をする。「生まれ育った地であり、自分自身に還ることができる場所。余計なことを考えることなく仕事ができます」。

文・湯浅玲子 撮影・志賀智
取材協力・時盛建設株式会社