パリ ル・コルビュジエの自邸
(設計:ル・コルビュジエ)
今回ご紹介するのは、私の地元にある、建築家が自分自身の住居を設計した事例です。
2016年に、日本の国立西洋美術館を含む16作品とともにユネスコの世界遺産に登録された、フランスの近代建築の始祖、ル・コルビュジエ(Le Corbusier 本名はシャルル・エドゥアール・ジャヌレ・グリ=Charles-Édouard-Jeanneret-Gris 1887年スイス生まれ。1930年フランス国籍取得。1965年南仏にて逝去)が、後半生を過ごしたアパルトマン兼アトリエをご紹介します。
ル・コルビュジエのアパルトマン(最上階及び屋上階)がある建物のブローニュ側ファサード。
コルビュジエお気に入りの、寝室のベッドからの屋外の眺望。
この住居は、パリ16区モリトール地区と、隣のブローニュ市との境界線上にあります。すぐ隣にある有名なサッカー会場、パルク・デ・プランスは、当時から存在していました(現競技場は1972年竣工の3代目)。
ル・コルビュジエの住居は、1931年から1934年にかけて建設された9階建ての集合住宅の、8・9階部分を占めています。それまでの住宅の主流だった石造のオスマン様式の建物を、構造様式から住居のコンセプトまですっかり革新したビルでした。
ル・コルビュジエは近代建築の産みの親、モダニズム建築の巨匠と言われています。そのコンセプトは「近代建築の5原則」にまとめられ、①ピロティ(1階部分を柱で持ち上げ空洞にする)、②屋上庭園、③自由な平面(柱と床で建物を支えることで、壁面を大きく開放する)、④水平連続窓、⑤自由なファサード となります。
この原則をル・コルビュジエの住宅にあてはめてみると――
①のピロティは一戸建てではないため、採用されていません。
②の屋上庭園は9階部分に採用されていて、ブローニュ側に大きく眺望が開けています。屋上出口部分は全面ガラスで覆われていて、そこから外光が8階部分にも届くように設計されています。
③の自由な平面は、アトリエ、居室、寝室の広々とした空間に生きています。
④の水平連続窓によって、各部屋の溢れるような採光が実現して、現代の高層マンションと変わらない感覚を得られます。
⑤の自由なファサードは、それまでのオスマン建築ではありえなかった全面ガラス張りの壁面を実現させました。
物館の中に入ると、内面は一層複雑な建築構造が見て取られ、それが展示空間に変化と面白味を与えていることがわかります。ゆったりとつけられた階段スロープ、天井からの採光窓、海側の帆のカーブ構造を反映した内壁など、特徴的な箇所は枚挙にいとまがありません。
彼の作品、とりわけ住宅建築を見ると、90年という歴史の隔たりを全く感じさせない、まるで現在の住宅を見ているように感じます。それだけ今日の住宅が彼の提唱したアイデアを継承していると言えるでしょう。彼のアイデアを可能にしたのは、当時の20世紀の技術革新、建築の分野では「鉄筋コンクリート建築」の実用化であったと言えます。
こちらの物件へはパリ市内からであればメトロなどを使って簡単に行くことができ、内部を自由に見学できます。