HOME | コラム集 | パリ通信 | ブローニュ「ミュゼ・アルベール・カーン」

ブローニュ「ミュゼ・アルベール・カーン」
(設計:隈研吾)

世界の現代建築を訪ねる旅ー7

年4月はじめ、私どもが住むパリ市の南隣にあるブローニュ市に、また新たなモニュメントが登場しました。それは、元々この地に以前からあったアルベール・カーン庭園に付属するアルベール・カーン・ミュージアム(Musée Albert-Kahn)です。
 

ミュージアムの外壁(南面)。

ルベール・カーン氏は1860年生まれのフランス人で、1940年にこの地で亡くなるまでの後半生を、この庭園の中にあった邸宅で送りました。銀行家で事業に成功して大きな財産を築き、この地に大きな土地を購入し、そこに美しい庭園を設えました。この庭園は、フランス様式、イギリス様式、北アフリカ様式の庭園と並んで、一層力のこもった日本庭園から成っています。
またカーン氏は世界に広く眼を開いていた人物で、世界各地に写真家を派遣して当時の世界の人々の写真を撮らせ、膨大な写真と映像フィルムのコレクションを造り上げました。日本への関心は特に強く、自ら数度の日本渡航を果たし、1909年の訪問時には、大隈重信や皇族など、当時の上層の人物との親交を築きました。その経験に基づいて、庭園の主要な部分に、日本庭園と日本家屋を再現しました。
 

日本庭園。
 

 彼の写真コレクションは7万枚にも及び、これを紹介する常設展がこのミュージアムの中核を形成しています。その中には、日本の当時の写真も多くみられ、とても興味をそそられます。
カーン氏は結局1929年の世界大恐慌の煽りを受け、1932年に彼の銀行業が破産、ブローニュの庭園、邸宅も手放さざるを得ませんでした。しかし市がこれを購入したお陰で、この庭園はその後も生き延び、現在は市が属するオート・ド・セーヌ(Hautes-de-Seine)県の施設となっています。

のミュージアムの設計を行ったのは、日本の建築家の隈研吾氏です。同氏が得意とする自然を重んじた建築、自然との一体感を重視する姿勢が、この建物のコンセプトによくマッチしていると感じました。
建築素材として木材が多用されています。外面には、長く細い木材を簾のように組んで配置したり、建物全体に「縁側」を付けていて、日本庭園との調和は色彩も合わせて完璧なものだと思いました。それはまた日本に感銘を受け、日本をフランスに紹介したカーン氏の嗜好にもとてもよくマッチしたものだと思います。
 

膨大な写真コレクションを展示する常設展。
日本庭園に接するミュージアムの北面。
日本庭園に臨む特別展スペース。

ルベール・カーン・ミュージアムは、すぐ近くに位置する坂茂氏設計のラ・セーヌ・ミュジカルに続く日本人建築家の作品となります。この地に、日本を代表する建築家の作品が複数実現したことは、私たち日本人にとってたいへん誇らしいことだと思います。

2階ロビーの窓からミュージアム本体の南面を望む。

エントランスから 2階ロビーにつながる階段。
文・写真/佐藤文子(パリ在住)